『陸に上がった軍艦』『TOKKO-特攻-』

 最近は以前よりもドキュメンタリー作品の一般劇場での公開もポピュラーではありますが、今年の夏は第二次大戦を描いたものがいつにもまして目立って話題になっていた気が。正月興行の硫黄島関連の書籍ブームから昨今の情勢など感心を呼ぶ要因は多かったのかも知れないけれど、某米国のように年がら年中どこかに軍隊送り込んでなんかやっている国とは違って、日本は実体験としての戦争の記憶はどんどん風化していく一方といえばそう。もちろん自国が戦火に包まれることもなければ、またそれぞれの大事な人がどこかの戦場に送られることがないことはそれはそれでよいと思うけれど、かつての戦争の記憶が過去のものして忘れ去られたり、戦争を知らない世代に過去に起きた事実が極端な解釈に歪曲されて伝えられるようなことは避けなければいけません。直接的間接的問わず戦渦に巻き込まれた多くの人たちがつらい思いをしてきて、でもそれは自分たちだけでなく戦争に携わった国々すべてが共通して抱えている痛い記憶であるということと、そんなことは二度と繰り返してはいけないんだということを後々まで伝え、認識していかなくちゃいけないこと。だから、やっぱりこういった当事者の人々の声を伝える映像はできるだけ多くの人に触ることはよいことだと思います。
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『グラインドハウス』

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原題:Grindhouse 2007年製作  グラインドハウス
監督:ロバート・ロドリゲス、クエンティン・タランティーノほか
出演:ローズ・マッゴーワン、フレディ・ロドリゲス、カート・ラッセル、 ロザリオ・ドーソンetc.etc.etc.

 単品公開版ではそれぞれ編集が違っているとのことですが本来2本立てでみせるべく作られてオリジナル予告編?までついているのなら2本立てバージョンの方が楽しかろうと思ってこちらを鑑賞。
劇中予告編の方がおもしろそうーなんてことはいいっこなしですけども(…)映画というかプロジェクト自体イベントムービー。監督本人たちが大まじめかつ遊びながらB級づくりに励んでいるわけなので、内容的に目くじらはたてません。こういうものとして楽しめる人々でポップコーンのバケツ抱えながらがははーとみてればいいんじゃないでしょうか。あ、ポップコーンなんて備品はなくてもよいか。ほんとだったらファンタ(スティック映画祭)で観たら楽しいと思うんですけども。っていうかファンタでやるべきでしょー。カムバーック!!

 ゾンビーsの中で戦うエロいおねーちゃんがかっちょいいロドリゲスの『プラネット・テラー』、おしまいはヘタレだけどカート・ラッセルのキチなスタントオヤジっぷりと、スタントねーちゃんsが十分にすてきなタランティーノの『デス・プルーフ』。こういうつくりものっぽいビッチでエロくてかっちょいいねーちゃんたち撮らせたらこの二人の右に出るものはいないんじゃなかろうかと思いつつ(あと音楽づかいも花丸)それぞれそれなりではありましたが、一番大ウケしたのは“予告編”のフーマンチュー・ニコですかも。『デス・プルーフ』の前半の方に出てくる3人娘のひとりがジョアンナ・シムカスとシドニー・ポワチエの娘さんだそうでほーと思いました。ゾーイのおねえさんは『キル・ビル』ユマ・サーマンのホントにスタントさんということであのボンネット激突も生身なんでしょうかねー。スゴーイ。かっちょいー。

劇中予告の監督は以下の人々
ロバート・ロドリゲス 『マチェーテ』
ロブ・ゾンビ     『ナチ親衛隊の狼女』
 …やっぱしBとくればウド・キアーは欠かせないっすよね
エドガー・ライト   『Don't/ドント』
イーライ・ロス    『感謝祭』

@TOHOシネマズ・六本木ヒルズ
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『レイジング・ブル』

とタイトルだしつつも、ほとんど駄雑談です。ああアルトマンのことも書いてないのに。

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 先日から渋谷のシネマヴェーラでユナイテット・アーティスツ特集が始まっていてさっそく出かけたのが『レイジング・ブル』。DVDも持ってて何年かに1度は見ているのだけれどやっぱり生スクリーンであのタイトルバック目にしただけで涙腺決壊。「カヴァレリア・ルスティカーナ」の曲自体がものすごくいいのもあるし、そこに試合前のスパーがスローで映しだされるあの絶妙さは言葉が思いつかないくらい美しくて、あそこだけですでに燦然と輝く作品ランクイン。

 お話はきっと好きずきあると思うんです。だってジェイク・ラモッタって結構(かなり?)ヤな奴だし。猜疑心の固まりで身内含めた他人を信じることができない、たぶん自分の拳しか信じてない男。スコセッシの描き方もこれまたすごく執拗で、ヤなところをもういいよってくらいネチこく反復してみせるんですけれど、そんな半ばもーいいよって感覚、過去にスコセッシの作品見ていて何度か感じたことを思い出したりしてた。だけど決してそのことで作品が気に入らないとかいうのじゃなくて、コントラスト効果があるというか記憶にギシギシ刻まれる作品になってるというか。
スコセッシの描く世界はネタ的にもマスキュリン、というより徹底した男世界の匂いがプンプン漂って、どこか居心地が悪くなるような緊張感をおぼえることもあるんだけれど、その「気」のようなものに圧倒されつつ半ば憧れのようなものも知らないうちに抱いていたりする。こちらの無い物ねだりゆえかもですけども。
 本作で描かれる実在のボクサーの劇的な栄光と挫折という光と影は映画の題材的にもおいしいものだと思うのだけれど、そのストイックさ・執拗さ・あくの強い描き方に、以前ドキュメンタリー番組でスコセッシが今村昌平の作品に大いに影響を受けていることを延々語っていたことを思い出したりした。今村監督は師事していた小津監督に再三なぜ人の美しさではなくて醜さや汚いところばかり撮るんだと言われて小津さんの下を離れた経緯があるそうですけれど、スコセッシの作品にしてもにじみ出る登場人物の臭みのようなものの描き方が影響されたと公言してはばからないところなのかしらとも思ったり。

 記憶をぼんやり思い返してみるとスコセッシの描いてきた作品って作風的にはほぼ一貫しているし、そう思うとあの『ディパーテッド』ももう1度見てみようかなあと思ったりもして。考えてみればあれはあれでリメイクの枠内で目いっぱいのスコセッシ・カラーが盛り込まれていたようにも思えるし、一部で不評だった4文字言葉オンパレードにしたって別に今に始まったことじゃないですしね。元になってるオリジナルの作品がたまたまあれだったから局地的な騒ぎを巻き起こしたということで(他意はありませんよ。自分だって好きなヨーロッパ映画がハリウッドでちょちょいとリメイクされることには大いに抵抗を覚えかつ憤慨してるし)。もちろんリメイクなんかじゃなくてオリジナル脚本の作品でいろいろ受賞できたらよかったのにね、という気持ちは今でも変わらないけれどキリキリ目くじら立てなくてもよかったかもと今さらながら自分なりに反省はしました。

というわけで、デニーロの減量増量っぷりもかなり話題になった本作ですが機会があれば、好き嫌いはあると思うけど、お勧めしたい一作です。そういえば日本語字幕つきプリントはどこから調達してきたのかしらと思ったらシネカノンがもってたんですねー。エライ。
レイジング・ブル 新生アルティメット・エディション
レイジング・ブル 新生アルティメット・エディション

↑アルティメット版、しかも「新生」ってなんだろね
19:10 | 「ら」行 | edit | page top↑

『ニクソン』

ニクソン
 アルトマン特集でニクソンものをみて、そのキテレツさにそういえばとかつてのオリバー・ストーン作品を見たくなったのでDVD再見。アルトマンの方で描かれるニクソン像は、一人芝居というのもあるんですがとにかくブチきれていて、世の中恨みつらみキッシンジャーのあほったれ!みたいな感じがある意味痛快でしたが(…とは書いてみたものの、記憶が遠くなっているので個別にはまた見てからかきたし)、それに比べればもちろんこちらは大河風。彼の貧しい生い立ちから対立候補となったお育ちのよいケネディへのコンプレックス。彼の暗殺死によって巡ってきたチャンスに乗じ念願かなって大統領の座に着いたものの、結局はウォーターゲート事件でホワイトハウスを追われた悲哀をアンソニー・ホプキンスが見せます。栄光が栄光らしくない光と影、というか。
DVD見てからも日にちが経っているので何ですが、アメリカ史における彼の立場とか、自伝が読みたいなと思った記憶あり。

(↓はアルトマン作品)
secreth
Secret Honor - Criterion Collection
19:18 | 「な」行 | edit | page top↑

『アズールとアスマール』

Azur et Asmar(Original French ONLY Version - No English Options)
原題:AZUR ET ASMAR  監督:ミッシェル・オスロ
アズールとアスマール 2006年製作 フランス映画(アニメーション)
声の出演:シリル・ムラリ、カリム・ムリバ、ヒアム・アッバス
(吹替版):浅野雅博、森岡弘一郎、香川照之
日本語版翻訳演出/監修:高畑勲

 アズールとアスマールは乳兄弟。時にはとっくみあいのケンカもすけれど、乳母のジェナヌの歌ってくれる妖精の子守歌を聴きながら、白人とアラブ人と肌の色も身分も違っても困った時には助け合ったり慰め合ったりしながら本当の兄弟のように育った。でもアズールが大きくなると父親は彼を領主に相応しい教育を受けさせるべく寄宿学校に入れ、ジェナヌとその息子アスマールを屋敷から身ひとつで追い払ってしまう。
 やがて美しい青年に成長したアズールはジェナヌの歌ってくれた妖精の子守歌が忘れられず、妖精を捜す旅に出ようと再び海を越えたアラブの土地に渡ろうとするのだけれど船が難破し見知らぬ土地に流れ着く。そこで目にしたのは荒れ野や彼のよく分からない言葉を話す不虞の人々でアズールの青い瞳を「不吉」だと恐れて石を投げる人々だった。そんな醜い世界はみないほうがマシだと彼は盲人のフリをする決意をし、やがてめぐりあったクラプーという男に案内されて街へ向かう。

『キリクと魔女』『プリンス&プリンセス』のM・オスロ監督の最新作。
 同じ乳を飲んで育った異民族の二人。時々相手のおやつの方が大きい!とか、母さんは僕のだ!と小さな言い合いやら張り合ったりすることはあっても、そこには何の偏見も憎しみもない。なのにアズールの父親みたいな大人に人としての心や恩義もないがしろに傷つけられることで相手に対する不信や憎しみが芽生える。
 青年となったアズールは再びアフリカに渡るけれど難破して漂着した先の土地で見知らぬ者への恐怖や、真偽のほども確かめられずに盲信されてきた迷信のために初めて差別される側にまわり、そんな自分を受け入れない醜い状況なぞこっちからお断りだと目をつぶってしまう。

 おとぎ話というと古典的なイメージがあるけれど、ここで語られる事柄は今の世だからこそ改めて語られて、考えたり目を開くべきこと。肌の色が違う美しい二人の妖精とアズールにアスマール、イスラム教徒のおしゃまなお姫様にユダヤ教のラビ、裕福になった乳母と物乞いのクラプーが手に手を取って踊る場面。美しい美しい映像の中にちりばめられた教訓は小さな子どもから大人まで誰もの心に永く留まることでしょう。ガブリエル・ヤレドの音楽もよかった。

ちなみに毎週火曜日の最終回上映前にはジブリ美術館の館長さんとゲストによるトークショーがあるそうです。わたしの出かけた時にはこれでした。↓
リンク:CINEMA TOPICS ONLINE|大ヒット御礼!!トークイベント<ナカジマンナイト>開催!!映画『アズールとアスマール』

関連エントリー:『キリクと魔女』
16:07 | 「あ」行 | edit | page top↑

『ブラックブック』

ブラックブック
原題:ZWARTBOEK(BLACK BOOK) 監督:ポール・ヴァーホーヴェン
ブラックブック  2006年製作  オランダ/ドイツ/イギリス/ベルギー
出演:カリス・ファン・ハウテン、トム・ホフマン、セバスチャン・コッホ

 1944年ナチス・ドイツ占領下のオランダ。ユダヤ人女性歌手ラヘルはレジスタンス指導者の助言の元、一家を含めた比較的金銭に余裕のあるユダヤ人たちは川を下って南へ逃れようとするが、その途中突如現れた親衛隊によって攻撃される。乗り込んだ人々が皆殺しに会う中命からがら脱出したラヘルは家族を奪ったナチスへの復讐を誓い、彼女は風貌も名も変えてレジスタンスに参加。やがてナチスの将校ムンツェに接近した彼女は、彼の愛人となり本部で秘書の職まで得るのだが…。

 ポール・ヴァーホーヴェンというとエロティックスリラーというか妖婦がバーン!みたいなハリウッド娯楽的&ラジー的(…)なイメージがあり、この作品撮ってるのが同一人物と知った時にはどーしちゃったの?と思わないでもありませんでした。とはいえ内容がヘビーな史実ネタとはいえ、それなりのお色気なり最後のほうのどんでん返しに次ぐどんでん返しといい、ハリウッド的なエンターテイン要素は感じられるところもありました。
でもお話的にどうなのだろう。たぶん冒頭とおしりに持ってきたイスラエルでの場面というのは戦後の彼女にも安住の地はないとかそういうことなのかも知れないけれども、なんかとってつけたようなああ描くにはあまりに半端すぎた気がしないでもありません。ちと意図不明。意気込みは伝わってくるし、それなりに見せる場面もあっただけにうーむという感じ。

@三軒茶屋シネマ
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『ダイ・ハード4.0』

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 全米ではシリーズ1番の興行収入を記録してるとのことですが、世界的にみるとそうでもないんだって。なんででしょうね。今さら感があるのかなあ。
 でもおもしろかったですよー、ハイテクなんかとは縁遠そうな肉体派オヤジ踏ん張るって感じで。相手の頭脳派集団のヤな感じと前作までとはまた違った対比があって。っていうかあり得ないダイハードっぷりにも輪がかかってました。

 ブルース・ウィリスは好きじゃないけどシリーズは全部みてます。「3」もほとんど中身は覚えていないけれど世間でいうほどつまらなかったような記憶はありません。だけど前2作であれだけ仲むつまじく二人で修羅場をくぐり抜けた奥さんと離婚してた設定はたしかにちとビックリよりも、なんでー?っと思った記憶があります。だってそれまで愛する家族、というか妻を守りたいという気合いこそが、悪態つきつつ体一丁でドロドロになりつつも無敵の強さを発揮して、常識で考えれば彼みたいな普通のオヤジなんかが太刀打ちできないような頭脳派悪玉軍団をやっつけてきたエネルギーの元だったし、そこがジョン・マクレーンをジョン・マクレーンたる存在にしていた一番の魅力だったのに、それがなくなっちゃ普通のトムちんアクション映画と同じじゃんというような感じで。
 だから今回、以来別居してる娘が最初の2作の奥さん代わりとばかりに登場したのは原点回帰みたいな感じでよかった。どうせシリーズまだ続けるならじーさんになってもダイハードで、ばーさんになった奥さんとより戻すってような展開にしてほしいなあ、クリスマスの日とか彼のNYPD定年の日とかの設定して。
 しかし時代が進んで敵方の悪事の働き方もどんどん進化してるけど、目的がいつも結局は金かいっていうのは不変的なのねーとも思ったり。
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『ムクシン』オーキットの物語(その4)

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 ヤスミン・アハマド監督のオーキットもの最後の物語は、小学生の彼女がむかえた夏休みの物語。
彼女の家は貧しくはないけれどそんなに裕福でもなくて、パパがローンで買ったソファーは最初の支払いが遅れて没収されるたびに新しいものに変わってる。人前で英語しか話さないオーキットのママは英国帰りを鼻に掛けてると近所で陰口をたたかれるけれどそんなことはどこ吹く風。パパとママはラブラブで雨が降ればお手伝いのヤムさんの歌声に合わせてママとオーキットは服を着たまんま雨の中でダンスを踊りだすというハッピーファミリー。両親はオーキットに広い視野を持たせようと中華系の学校に通わせたり、気の強い彼女が間違ったことをしていなければ叱ったりもしないけれど、よそのお家のニワトリをオーキットのかわいがっていたネコが獲ってきたなど家のルールが破られた時にはいけないことはきちんと罰して諭す。

 そんな中でのびのび育ってきたオーキットはその夏、別な村からオーキットの村に住むおばさんを訪ねて兄とともにやってきたムクシンに会う。女の子たちとお嫁さんごっこをするよりも男の子たちの陣取りに混ざりたいオーキットは最初「女とは遊ばない」と相手にしないムクシンを猛然とつきとばし一目置かれる存在に。やがて二人は一緒に遊びに出かけるようになる。凧揚げをしたり木登りしたり。オーキットを自転車にのっけてあげるためにサドルにザブトン代わりの厚布をグルグルに巻き付けたり、そのうち彼女を迎えに行くのに兄ちゃんのシャツにこっそり着替えて、丁寧にくしを入れたあとポマードでコテコテに髪の毛整えておしゃれするムクシンはちっちゃなジェントルマンみたいですごくかわいい。

 お互いを意識してみたりそうでもなかったり小学校の高学年ぐらいの時って微妙な年頃だったりするかも知れないけれど、楽しい時には魔法にかかったみたいな、一番楽しい時期なのかもしれない。自分だって女の子同士で遊んだりするんじゃなくて、男の子と走ったり転げ回ったり相手のことを対等な親友だと思ってた時期があったりしたし。だけどやっぱり魔法のとける瞬間はやってくるもので、そうしようと思って言うわけじゃないのに、無意識のうちに女なんか!男なんか!と口をついて出る言葉が相手を傷つけたり、妙に引っかかってしまったり。すると昨日までの仲良しが半分気になりながらも相手と話すことを意識してためらったりしてるうちに、何にも話さなくても平気なことになんとなく慣れてくる。そうして子ども時代の淡い友情はいつの間にか遠い思い出になったりして。そんなことをふんわり懐かしく思い出しながら観てた。
 いつもオーキットのママたちの悪口を言ってる隣の奥さん。彼女のダンナは外に若い女を作って留守がち。オーキットの両親をああだこうだ言うのは寂しい気持ちの裏返しなのだろうけれど、それはそれでバチがあたったような結果になってしまったのはかわいそうでした。

 このお話にはオーキットとジェイソンは出てこないのかしら、と思っていたら青々茂る田んぼのあぜ道際に構えられた小さな家に住まう赤ちゃんを抱っこした若夫婦の姿。ああーこれまで観てきたお客のためにこういう結果も見せてくれたんだなあと思ってなんとなくじんわりしてしまった。それから夏休みが終わって学校に戻ったオーキットの姿を遠くから眺める中華系の男の子も。ここから『細い目』のお話がうまれて、この先も続いていくのかな、と。終わりの大団円といい監督自身の思い入れも感じられたオーキットの物語でした。またいつの日かオーキットとジェイソンに会える日が来るのかも?
16:16 | O.T.東/東南アジア圏映画 | edit | page top↑

『グブラ』(オーキットの物語 その3)

gubra

 『細い目』の物語から何年か経った設定でキャストは一緒。オーキットは留学から帰ってきていつの間にか小マダムに。両親を手本にしてダンナさんと仲のよい家庭を築いているのかと思いきや、パパの入院でバレてしまったダンナの浮気。そんな時に偶然同じ病院に父親が入院していたジェイソン一家との出会い、というエピソードがひとつ。
 もうひとつはイスラム教聖職者の仲むつまじい夫婦と彼らの階下に間借りしている売春婦たちの物語。売春婦のひとりは息子を抱えて大事に大事に育てているにもかかわらず自身は不治の病を宣告され、もう一人は客からどんなひどい扱いを受けようと故郷へお金を持ち帰るために堪え忍んでいる。やがて二人はコーランを教えてほしいと妻のキアに頼み込むのだけれど…。

 二つのエピソードが対照的に並んでいるというよりも各々の中にも光と陰があって、アンサンブル風でもありました。へヴィーなパートはヘヴィーですけれど、その分印象に残ったり。
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18:26 | O.T.東/東南アジア圏映画 | edit | page top↑

『細い目』(オーキットの物語 その2)

sepet

 個人的には一昨年鑑賞したこの作品がヤスミン・アハマド作品初体験ではありましたが、何度か観ているうちにより愛しくて落涙指数の高くなった作品かも。

 前作『ラブン』との大きな違いはまず物語がオーキット中心で動き出すことと、オーキットと中華系の細い目の青年ジェイソンであったり異民族間の恋愛をクローズアップしてより掘り下げているというか。純粋な「初恋ネタ」でいったら後発の『ムクシン』のほうが初々しいのだけれど、こちらは初めての恋、というより初めての愛といった方がよいか。だから初恋の切なさ、というよりずっと現実はビターでキビしい。
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18:24 | O.T.東/東南アジア圏映画 | edit | page top↑